ロス暴動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ロス暴動(ロスぼうどう)は、1992年4月末から5月頭にかけて、アメリカ合衆国ロサンゼルスで起きた大規模な暴動。アメリカに未だに根強く残る差別・新旧の人種問題、陪審制の難しさなど、暴動の背景にある多くの問題が浮き彫りになった。

目次

[編集] 潜在的要因

日本における報道ではロス暴動はロドニー・キング事件に対する白人警官への無罪評決をきっかけとして突如起こったかのような印象を受けることが多いが、その潜在的要因としてロサンゼルスにおける人種間の緊張の高まりが挙げられる。アフリカ系アメリカ人の高い失業率、ロス市警による黒人への恒常的な圧力、韓国人店主による黒人少女(ラターシャ・ハーリンズ)射殺事件とその判決に対する不満などが重なり、重層的な怒りがサウスセントラル地区の黒人社会に渦巻いていた。そこにロドニー・キング事件のロス市警警官に対して無罪評決が下されたことが引き金となって、黒人社会の怒りが一気に噴出して起きた事件であるといえる。

[編集] 人種間の緊張の高まり

事件の重要な要件として、暴動がはじまったサウスセントラル地区の人口比率の変化が挙げられる。サウスセントラルはかつて黒人地区であったが、ヒスパニック系が居住者として取って代わるようになり、一方では韓国系アメリカ人がそれまで黒人の所有していた酒屋や雑貨店などを買い取って商売をはじめていた。国勢調査によれば、歴史的に黒人居住地区であった場所におけるヒスパニック系住民の増加率は119%に達していたという。こういった地区では商店などの経済競争が人種間の憎悪を高めていった。それまで黒人が一手に引き受けていた単純労働は、半分の賃金で働くラテン系移民へと移っていった。また、韓国人商店と客である黒人住人との関係は明確に断絶していた。黒人住民たちは韓国人商店の客扱いが酷く商品が値上がりしているとの不満を持っていた。

こういった状況の中、ラッパーアイス・キューブは1991年10月に発表したアルバムで、黒人社会と韓国人社会間に存在する軋轢をBLACK KOREAという曲において韓国人を攻撃する歌詞という形で表現している。

[編集] ロドニー・キング事件、およびその裁判

1991年3月3日、レイクビューテラス付近でスピード違反を犯した黒人男性ロドニー・キングを、20人にものぼるロス市警の白人警官が車から引きずり出して、装備のトンファーバトンで殴打、足蹴にするなどの暴行を加えた。たまたま近隣住民が持っていたビデオカメラでこの様子を撮影しており、この映像が全米で報道され黒人たちの激しい憤りを招いた。

この事件で4人の警官(白人3人とヒスパニック系1人)が起訴された。裁判の結果、警官達の“キングは巨漢で、酔っていた上に激しく抵抗したため、素手では押さえつけられなかった”との主張が全面的に認められ、陪審員は無罪評決を下した(白人住民の多かった地域―シミ・バレーで法廷が開かれた事も原因しているといわれる)。陪審員に黒人は含まれていなかった。

[編集] ラターシャ・ハーリンズ射撃事件

韓国人の壮年女性が黒人少女を射殺するという事件が起き、黒人社会と韓国人社会間の軋轢は頂点に達した。ロドニー・キング事件のわずか13日後となる1991年3月16日、1.79ドルのオレンジジュースを持参したバックパックに忍ばせて万引きしようとした黒人少女(当時15才)であるラターシャ・ハーリンズを、韓国系アメリカ人の女性店主(当時49才)が射殺してしまったのである。事件の様子は防犯ビデオに収めらており、2人は揉み合いになったのちに少女が店主の顔面を4度殴打、店主は床面に激しく転倒させられた。店主は少女に椅子を投げつけた。その後、店主は店から歩いて出て行こうとする少女を背後から撃ち、少女は死んだ。この事件の判決は同年11月15日に出ているが、その判決は5年間の保護観察処分、および400時間の社会奉仕と罰金というものであった。第三級謀殺としては異例に軽いものだとして、黒人社会の怒りを再び煽ることとなった。

[編集] 暴動勃発

1992年4月29日、ロス市警の警官への無罪評決が下されたこの日、評決に怒った黒人たちが暴徒化し、ロサンゼルス市街で暴動を起こして商店を襲い、放火や略奪をはじめた。

また、小規模な暴動はロサンゼルスだけではなくラスベガス、アトランタ、サンフランシスコをはじめとしたアメリカ各地、およびカナダの一部にまで波及したようである。

この暴動が勃発した初日、LA市内をトラック輸送仕事でいつも通り走行していた白人トラック運転手、レジナルド・デニーはフローレンス通りとノルマンディーアベニューの交差点で信号待ちをしていた際、主に若者を中心とした暴徒化した黒人らにキャビンから引きずり出されて執拗な暴行を受けた。その暴行内容は、コンクリート塊でこめかみを強打したり、倒れた被害者の頭部に数十キロの鉄の塊(エンジンブロック)を投げ落とすなど極めて情け容赦の無い殺意丸出しのものだった。またこの様子は地元TV局の取材ヘリから空撮されており、この衝撃的なシーンは幾度となく繰り返し全米にTV放送され、彼はロス暴動におけるもっとも著名な被害者となった。なお、暴行を受けた後、彼はTVニュースでその暴行のライブ中継を見ていた地域住民の黒人によって助け出され、病院で開頭手術などを受け一命を取り留めている。

主な襲撃目標となったロス市警は自らを守るだけで手一杯の状況となり、暴動を取り締まることはまったくできなくなっていた。その証拠に前述のライブ中継されたレジナルド・デニー集団暴行事件でも最後まで警察は現れる事はなかった。そして4月30日、当時の黒人市長ブレッドリーは非常事態宣言を発令した。

もうひとつの主たる襲撃目標となったのが韓国人商店である。襲撃による被害額の半分弱が韓国人商店のものであるともされる。韓国人商店主らが自己防衛のために拳銃や短機関銃を水平発射しているシーンも幾度となくテレビにおいて放映された。ちなみに彼ら韓国人店主らの多くは朝鮮戦争の帰還兵だった。また、当初は韓国人商店が襲撃されたが後には他のヒスパニック系/白人/黒人の店も見境無く襲撃されるようになった。

暴動鎮圧のために州兵は元より、4,000人を超える連邦軍(陸軍、および海兵隊)部隊までが投入され、さらには司法省が、公民権法違反(人種差別行為)容疑でのFBIによる再捜査をアナウンスするなどの努力によって6日間に渡った暴動はようやく収束を見た。しかし、暴動による被害は死者50~60人、負傷者約2,000人を出し、放火件数は3,600件、崩壊した建物は1,100件にも達した。被害総額は8億ドルとも10億ドルともいわれる。

逮捕者は約1万人にものぼった。42%が黒人、44%がヒスパニック系、そして9%の白人と2%のその他の人種が含まれていた。これは当時のロサンゼルスの人口比率とほぼ同じで、最終的には黒人による暴動というよりは、街を挙げての略奪騒ぎになったと考えるべきだろう。

[編集] 暴動鎮圧後

暴動ののちに、ロドニー・キング事件に関して再審理を求める世論が盛り上がった。FBIが公民権法違反で再捜査を行い、指揮する立場にあった巡査部長と直接関与した巡査2人の計3人が有罪評決を受けた(直接関与していなかった巡査1人は無罪)。

この評決が下される際にも暴動が起きるのではと緊張が走ったものの、幸いなことに事前の警備など準備が万端であった上にほぼ順当な判決が下されたこともあって暴動が起きるようなことはなかった。

[編集] ロス暴動を題材にした作品

[編集] 音楽

  • アメリカのバンドRage Against The Machineの3rd.アルバムの名前「The Battle Of Los Angeles」

[編集] 映画

  • 1991年に公開された『わが街』という映画は、ロス暴動の遠因となった異人種間、および異なる社会階層によって分け隔てられた人々を描いている。特に白人運転手が黒人の暴漢に襲われ、レッカー車に乗った黒人に助けられるというシーンはロス暴動のレジナルド・デニーを思い起こさせる。
  • 1994年に公開された『カッティング・エッジ』(日本未公開)という映画では暴動後のベニスビーチを描いている。
  • 2002年に公開された『ダーク・スティール』という映画において腐敗した警察をロス暴動に向けた時間軸で描いている。また、ロドニー・キング事件と、レジナルド・デニーを殴打している実際のシーンが挿入されている。

[編集] その他

  • ドラマ『L.A.ロー 七人の弁護士』においてロス暴動当日をエピソードにした回が存在する。
  • PlayStation 2Xboxなどで発売されたゲーム『グランド・セフト・オート:San Andreas』において架空の都市ロスサントスにおいて、汚職警官らに無罪評決が下されたのちに勃発した暴動を描いている。ロス暴動をベースにしたものである。
  • この暴動直後に、ユニバーサルスタジオハリウッドのアトラクション「ライオット・アクト」は、その名称を「ワイルド・ワイルド・ワイルド・スタントショー」に改めた。

[編集] 関連項目